馬場俊英さんの「スーパーオーディナリー」という曲に、こんな問いかけがあります。
「もしも巨人と阪神の選手が全員入れ替わったら」
さて、あなたならどちらを応援しますか?
僕は、この問いかけが妙に心に残りました。
選手が全員入れ替わる。
つまり、昨日まで応援していた選手たちが、全員相手のチームにいるわけです。
それでも、今まで応援してきたチームを応援するのか。
それとも、好きだった選手たちを追いかけるのか。
どちらが正しいという話ではありません。
ただ、この問いかけには、チームというものの本質が隠れている気がします。
僕は長いことバスケットボールをやってきました。
選手としても、指導者としても。
その中で、いろんなチームに関わってきました。
当然、人は入れ替わります。
卒業する子もいれば、新しく入ってくる子もいる。
仕事や家庭の事情で離れる人もいれば、新しい場所でバスケを始める人もいる。
それは当たり前のことです。
チームに所属しているからといって、その人の人生まで縛れるわけではありません。
むしろ、新しい場所で頑張ろうとする人を応援したい気持ちだってあります。
でも。
チームって、それだけなんやろか。
同じユニフォームを着ている。
同じ体育館で練習している。
同じ大会に出場している。
それだけでチームになるのか。
僕は、少し違うと思っています。
勝った試合。
負けた試合。
誰もいなくなった体育館で、最後まで練習した日。
思うようにいかず、みんなで悩んだ時間。
何でもないことで笑ったこと。
そんな一つ一つが積み重なって、チームというものができていく。
今、目の前にいるメンバーだけではなく、そこに至るまでの時間も含めてチームなんだと思うんです。
だから、チームには歴史がある。
そして、その歴史には、もうそこにいない人たちも含まれている。
僕自身、今までたくさんの人にバスケットボールを教えてもらいました。
一緒に汗を流した仲間もいます。
今は別々の場所にいても、あの頃の時間がなくなるわけではありません。
その積み重ねが、今の自分を作ってくれている。
そう考えると、チームへの愛着というものは、単純に今のメンバーが好きだから、というだけでは説明できない気がします。
もちろん、人にはそれぞれ考え方があります。
もっと上手になりたい。
もっと強い相手と戦いたい。
新しい環境に挑戦したい。
どれも大切な気持ちです。
それを否定するつもりはありません。
ただ、何かを選ぶときに、今まで自分が歩いてきた場所のことを、少しだけ思い出してほしい。
今、自分が当たり前のように立っているコート。
そこでバスケができるようになるまでに、どれだけの人が関わってきたのか。
誰かが体育館を確保してくれた。
誰かが練習相手になってくれた。
誰かが試合に連れていってくれた。
誰かが、うまくいかない自分に付き合ってくれた。
そういうものって、普段はなかなか見えないんですよね。
見えないから、忘れてしまうこともある。
そして、失ってから気付くこともある。
僕は、チームを離れることが悪いとは思いません。
ずっと同じ場所にいることだけが、チーム愛だとも思いません。
ただ、どこへ行っても、自分を育ててくれた場所への思いは持っていてほしい。
そして、残る人たちにも、その場所を大切にしてほしい。
チームは、誰か一人のものではありません。
今いる人たちだけのものでもない。
これまで関わってきた人たちがいて、これから関わっていく人たちがいる。
その間に、僕たちはいるんだと思います。
さて。
もし明日、僕の大好きなチームの選手が全員入れ替わったら。
僕はどうするんやろ。
きっと、同じチームを応援すると思います。
そこには、好きだった選手たちとの思い出も、勝てなかった悔しさも、何年もかけて積み重ねてきた時間もあるから。
そして、たとえ全員が入れ替わっても、あのユニフォームに込められたものまで入れ替わるわけではないと思うから。
チームを好きになるというのは、今の姿だけを好きになることではないのかもしれません。
そのチームが歩いてきた時間ごと、好きになること。
そんな気がしています。
あなたなら、どちらを応援しますか?

