POORS前代表で大学の同級生、芦田から引退の言葉をもらってからどれぐらいになるのかなー。
芦田との思い出を少し書きます。
大学2年生の時、
当時のチームは、センター、フォワードはそろっているがPGがいない、って状況。
でもPG候補はいっぱいいた。
人数は多かったからな~。
俺の最大のライバルが芦田やった。
まわりのメンバーの得点力がスゴクて、俺も芦田も得点力は皆無。
俺はゲームメイク、芦田はディフェンスでのし上がっていった。
お互いに相手のチームのエースにつくことが多く、二人で相手のエースを潰す仕事に専念してました。
特に芦田のすっぽんDFは、チームDFよりはエースキラーとして活躍。
止める、って意識じゃなく、どれだけプレッシャーをかけ続けられるか?!って気持ちでした。
俺も芦田も得点力が無かったので、ディフェンスにはプライドを持ってプレーしてた。
今の俺のディフェンスに対するメンタリティはこの芦田とのスタメン争いで培われたもんだと思う。
大学を卒業して、芦田はPOORSへ。
俺も数回、人数合わせで参加。
当時年間、1~2勝しかできない弱小時代でした。
芦田も、チーム事情でインサイドプレーヤーになっていました。
弱いと言っても、みんながバスケが下手なわけではなく、得点力はないが、脇を固めさせたらグッドプレーヤーの集まりみたいな感じ。
脇役でキラリと光るメンバーがスタメンに名を連ねる(笑)
3部に上がるのに、13年かかったらしい。
もちろん、そのほとんどの期間、昇格を意識したことなんてなかった。
でも、その全ての試合、必死に勝ちを目指した。
この時代のPOORSを知っているからこそ、今の昇格に絡めるありがたみを感じる事ができる。
年末の寒い時期に、同級生の引退宣言は正直骨身に沁みたが、いつでもコートに戻ってこれるように、芦田の名前は登録し続けてきました。
大学も含め、芦田とプレーした時間があるからこそ、今の俺があり、俺がPOORSであり続けるかぎり、そのメンタリティーは生き続ける。
チームには歴史あり。
その上に今があること知る。
これも大事なことだと思う。